2020年3月30日月曜日

金融史の重大事件

有名な金融に関する事件をまとめました。
わかりやすくまとめたので正確ではないかもしれません。
また、個人的な主観で解釈を入れた部分もあるので反論はあるかもしれません。
なぜ世界的な金融不安が起こったのかがわかれば良いかと思います。


・ニクソンショック

1971年、それまでドルは固定量の金と交換できるという取り決めがあったが、ドル安が進行しドルを金に変える動きが進行して米国の金が不足しました。ドル安の原因には主にベトナム戦争での予算増大があったとされます。これを食い止めるために当時のニクソン大統領が一方的にドルと金の交換の停止を発表。これによって金の不足問題は解消されましたが、金に裏付けされるドルの価値が下落。当時は固定相場制であり、例えば日本であれば1ドル=360円で固定でしたが、ドルはその価値を維持できず1ドル=308円に切り下げられました。通貨のバランスの不均衡が生じたことで各国が協調的にレートを変更したのです。しかし、これも長く続かず、世界中が柔軟に交換レートを変動する変動相場制に移行しました。


・オイルショック

1973年の第4次中東戦争に端を発する原油価格の高騰。原油が高騰すると製造コストが上がり、その負担は製品価格の上昇に繋がります。その結果、物価の高騰が進みインフレが発生しました。当時は原油価格が影響しないにも関わらず便乗値上げも行われたようです。この時にインフレ対策として日本では利上げが行われています。オイルショック当時は1ドル=260円程度でした。オイルショックにより日本の貿易収支は赤字に転落、いったん1ドル=300円程度にまで円安に傾きましたが、その後の日本の貿易黒字の拡大もあり、1978年には1ドル=180円程度にまで円高になりました。1979年にイラン・イラク戦争に端を発する第二次オイルショックがありました。この時も、インフレ対策で利上げが実施されています。


・中南米危機

オイルショックにより米国でもインフレが発生。その対策として米国でも金利の引き上げが行われました。金利の引き上げは市場に出回るドルを回収できドルの価値を高めることができるが、逆にドルを借りていた場合にはその返済の利子が高くなります。1980年台、中南米危機では米国から融資を受けていたメキシコやブラジルなどの中南米諸国が金利負担の増加により返済困難に陥りました。中南米危機は返済期間の延長や追加融資によって一応回避されています。


・プラザ合意

1985年、ニューヨークのプラザホテルでプラザ合意が行われました。簡単に言うと、米国からの「円は安すぎて日本製品が売れて米国製品が売れないから、円高に誘導して欲しい。」との要請を日本が受け入れたということ。米国はオイルショックから続く高金利政策によりドルが買われる状態が続いておりドル高による貿易赤字が悩みでありました。プラザ合意の後、1ドル=230円程度から、1年で1ドル=150円程度まで円高が進行し、その後も円高が進みました。日本が一方的に損をする合意を受け入れてしまったというのは歴史的な大事件でありました。


・ブラック・マンデー

1987年、10月19日月曜日に起こった世界的な株価の暴落。原因は不明。おそらく投機的な売りにアルゴリズムなどが売りを追加し市場に伝搬して連鎖的な売りに繋がったと思われます。投機的な売りによって世界経済に大きな影響を与えるような理解できないような暴落が起こることがわかった重大な事件です。この事件から暴落時には一時的に市場取引を中断するサーキット・ブレーカーという仕組みができました。


・バブル崩壊

およそ1991年から1993年までの日本景気後退期を指す。プラザ合意以降、円高が進行していたことにより日本の輸出産業は大きな打撃を受けていました。日銀は円高対策として金融緩和を行い円を供給しました。しかし、国内経済は順調で円が余る状態が継続。株価や土地の価格は上昇しました。投機的な実体を伴わない高額な取引の増加により、まさに経済はバブルのように膨らんでいきました。バブル経済への引き締めが開始されると、1990年頃から湾岸戦争による原油価格の高騰も重なり株価や土地価格が急激に下落。銀行は融資担保としていた土地価格の下落により多額の不良債権を抱え、その後の中小企業への貸し渋りなどに繋がり不況を助長しました。バブル崩壊後、消費は落ち込み物価は下落、不安からタンス預金の比率が増えデフレ・スパイラルの状況となり、この状態は長く続くことになります。


・ポンド危機

1992年、不況であった英国経済のポンドが割高であることに目をつけたジョージ・ソロス率いるクォンタム・ファンドが投機的なポンド売りを行った事件。割高であったポンドはファンドの売り浴びせによって下落、イングランド銀行は2度の利上げで対抗しましたが結果はファンドの売り浴びせに勝つことはできませんでした。これによってクォンタム・ファンドは20億ドルほどの利益をあげたと言われています。


・金融ビッグバン

1996年から2001年にかけて日本で行われた大規模な金融改革。株式売買の手数料自由化やインターネット証券の認可、外為法を改正した個人への外貨預金の取り扱いなどが挙げられます。「貯蓄から投資へ」を目標にタンス預金問題の解消を狙った政策です。金融ビッグバンにより個人でも金融商品を購入しやすくなりましたが、タンス預金の比率は相変わらず減っていないため金融ビッグバンは失敗だったと言われることもあります。


・アジア通貨危機

1997年、ファンドによるタイのタイバーツの売り浴びせによるタイバーツの暴落に始まるその他、アジア諸国の通貨下落による危機。構造としてはポンド危機と同じ。ファンドによる売り浴びせはタイ以外にも、インドネシア、韓国などが被害を受けている。日本は直接攻撃されてはいないが間接的に被害を受けていて、日銀はこの影響で1998年に利下げを行っている。


・リーマン・ショック

2008年のリーマン・ブラザーズ倒産から始まる金融危機のこと。米国では住宅ローンを担保とした債権が発行されることがありこれをモーゲージ債と言います。簡単に言うと、債権を買った人が住宅ローンを組んだ人からの支払い利子を間接的に受け取れるというものです。サブプライム・ローン問題とは住宅価格の下落に端を発する債権の不良債権化です。リーマン・ブラザーズが倒産したのはモーゲージ債の投資比率が高く、不良債権化に対応できなかったのが原因の1つになります。日本ではモーゲージ債は馴染みが薄く影響はほとんどありませんでしたが、リーマン・ショックによっては世界的な金融不安により大きなダメージを受けました。


・ギリシャ危機

2010年、ギリシャの財政赤字の隠蔽が明らかになることでユーロが下落、またギリシャの国債は海外の金融機関が保有する比率が高く、デフォルト(債務不履行)不安から世界の株式も下落しました。このギリシャ危機に対してEUは資金供給を行い、ギリシャも緊縮財政を行うことで切り抜けました。EUが極端な金融緩和を始めたのはこの頃からです。2015年、ギリシャ危機は再燃し、この際もギリシャは資金供給を受けています。

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