ドル円に関する出来事を第二次世界大戦後からまとめてみました。
年代や為替レートはだいたいなので細かいところで間違っている可能性があります。
年代や為替レートはだいたいなので細かいところで間違っている可能性があります。
また、文章には個人的な感想も含みます。
1945年 第二次世界大戦 終戦
復興金融国庫より企業に融資を行った。炭鉱ブームが起こり復興が開始する。
1949年 ドッジ・ラインを提示
GHQのジョゼフ・ドッジが引き締め政策を指示。これをドッジ・ラインと呼ぶ。
1950年 朝鮮戦争
朝鮮戦争の戦争特需により、ドッジ・ラインによる不況を脱出。
1953年 スターリン死去
スターリン死去により朝鮮戦争が終わると予想され株価が暴落。実際に終戦となる。
1955~1957年 神武景気
戦争特需に寄らない本格的な経済成長が始まる。
1958~1961年 岩戸景気
所得倍増計画を発表。急速な工業化が進む。
1965~1970年 いざなぎ景気
建設国債の発行などで景気が回復。背景にはベトナム戦争も関係していたと言われる。
1971年 ニクソン・ショック スミソニアン体制
ベトナム戦争で負債を抱え、米大統領のニクソンが不足する金とドルの交換停止を発表。ドルを基軸とした固定相場制が終了する。このとき1ドル=360円。スミソニアン体制は状況に応じてその都度為替レートを調整するというものだったが、その後変動相場制に移行していく。
1973年 第一次オイルショック
第四次中東戦争により原油が高騰。物価が上昇し、インフレ対策で政策金利は9%まで上昇した。この年に円は変動相場制に移行。
1979年 第二次オイルショック
イラン革命による原油の高騰。政策金利は3%台まで落ち着いていたが再び9%台へ。
1985年 プラザ合意
プラザホテルで開かれたドル安誘導の合意。このとき1ドル=235円が1日で20円の下落。
1987年 ルーブル合意
ドル安の進行を抑えるための協調介入。1987年にはプラザ合意の影響で1ドル=120円まで下落。円高による景気後退対策のため政策金利は2.5%まで低下。日本ではバブルの予兆もあり、引き締めに転じる必要があったが、米国に配慮してドル安を進行させないように利上げが遅れたと言われる。
1990年 バブル崩壊
バブルに対応した引き締めを開始。日銀は政策金利を6%にまで上昇させる。このとき1ドル=160円まで上昇していたが、その後1994年の1ドル=100円までジリジリ下げる。
1994年 メキシコ通貨危機
メキシコ危機に端を発しドルが下落。日銀は円売りの為替介入を行ったが1ドル=80円まで下落。
1997年 アジア通貨危機
日本はアジア通貨危機の影響を直接は受けていないが、その後に間接的に影響を受け景気は後退。1ドル=145円まで円安が進行。日米の協調介入により円安はストップした。1999年には1ドル=100円まで下落。
1999年 日銀がゼロ金利政策を開始
ゼロ金利により円安が進行。また円キャリー取引(利子の安い円を借りて外貨を買う取引、円売り外貨買いが発生する)により円安はさらに進行。米国も円安ドル高を容認した。このとき1ドル=100円が2002年には1ドル=135円まで上昇。
2003年 福井総裁による量的緩和
金融緩和は行ったもののデフレ容認だった日銀の速水総裁が退任。新総裁となった福井総裁が金融緩和路線の拡大を開始。2005年には1ドル=100円まで円高が進行したが、円安に転換。
2008年 リーマンショック
海外で資産が売られ円売りが逆流し円高に。また、米の政策金利が急激に下がったこともあり1ドル=120円から円高へ向かう。2011年には史上最安値の1ドル=75円となる。
2008年 白川総裁が就任
金融緩和は推し進めたものの、良い意味で慎重、悪い意味で消極的であった。白川総裁就任後も円高は進行した。
2013年 アベノミクス開始
アベノミクス開始。日銀の黒田新総裁による非伝統的金融政策の強化などにより1ドル=75円を底に上昇に転じる。
2019年 コロナ・ショック
新型コロナウイルス感染の拡大により金融緩和政策が継続される。
2022年 ロシアによるウクライナ侵攻
コロナ・ショック後の経済活動再開とロシアのウクライナ侵攻による物資不足がインフレとドル需要の原因になり急速な円安が進行。1ドル=150円まで上昇する。
2024年 非伝統的金融政策の終わり
日銀の植田総裁は物価上昇に伴う賃金上昇もみられたため、マイナス金利やイールドカーブコントロールなどの金融政策を終了させた。