米政策金利に関する出来事をベトナム戦争からまとめてみました。
年代や政策金利はだいたいなので細かいところで間違っている可能性があります。
また、文章には個人的な感想も含みます。
1965年 ベトナム戦争
ベトナム軍事支出と設備投資が景気を過熱させインフレのきっかけとなった。
1970年 バーンズFRB議長就任
マーチンFRB議長の後任としてバーンズが就任。当時のインフレ率は6%を超えていた。当時の政策金利は9%程度。
1971年 ニクソン・ショック
ベトナム戦争で負債を抱え、米大統領のニクソンが不足する金とドルの交換停止を発表。ドルの価値が急落。バーンズFRB議長はインフレよりも景気を優先し金融緩和を行う。その後、インフレは悪化しバーンズFRB議長の対応は失敗だったと評価されることが多い。
1973年 第一次オイルショック
第四次中東戦争により原油が高騰。その後、インフレ率は最高12%程度まで上昇。政策金利を12%程度まで上昇させ対抗。
1978 ミラーFRB議長就任
インフレに立ち向かうために政策金利を6%から11%程度まで引き上げるがインフレを抑制できず、金利を引き上げたことで政治的な非難を受けわずか18カ月で退任した。
1979年 第二次オイルショック
イラン革命による原油の高騰。1980年4月にはインフレ率は14.6%まで上昇した。
1979年 ボルカーFRB議長就任
ボルカーFRB議長は政策金利を19%まで引き上げた。ボルカーは強いタカ派姿勢で批難されたが、インフレを抑え込んだという意味では評価される。1986年にはインフレ率は2%を割り込んだが、失業率は10%にまで上昇。景気は落ち込んだ。
1987年 グリーンスパンFRB議長就任
グリーンスパンはFRB議長を19年もの長期間で務める。1989年からの緩和への転換、経済の過熱感から1993年からの引き締め、1999年からの追加引き締めが続けて行われた。1999年からの追加引き締めはやりすぎたのではと批判されることもある。
1994年 メキシコ通貨危機
アメリカの利上げに伴いドルが買われメキシコペソが売られたためメキシコ通貨危機となった。
2000年 ITバブル崩壊
IT企業への投資が過熱し、不正の発覚や破綻によってITバブルが崩壊。景気後退が始まりグリーンスパンFRB議長は政策金利を下げ金融緩和を開始する。2004年まで緩和が続き、その後引き締めに転じる。
2006年 バーナンキFRB議長就任
グリーンスパンFRB議長が開始した金融緩和からの引き締めをバーナンキが引きつぐこととなる。その後、サブプライムローン問題が発覚するが、これはグリーンスパンの責任だったのではないかと議論されることもある。
2008年 リーマン・ショック
2007年のサブプライムローン問題に端を発するリーマン・ブラザースの倒産。その後、政策金利はゼロ金利となり、大規模な量的緩和が始まる。
2014年 イエレンFRB議長就任
イエレン議長は緩和を引き継いだが、2016年にやっと緩やかに引き締めを開始する。
2018年 パウエルFRB議長就任
イエレン議長が開始した引き締めを引き継ぐ。
2020年 コロナ・ショック
新型肺炎の拡大に伴い経済の停滞が予想されたため再びゼロ金利を再開。
2022年 ロシアのウクライナ侵攻
ロシアのウクライナ侵攻により物価高、エネルギー高が急激に進行。コロナ・ショックの緩和の影響もあり高インフレが発生。利上げを開始する。